日常の中で他者とのコミュニケーションを取るうちに
自分ではない感情や
考え方を無意識に影響を受けている
さっきまで、楽しかったのになぁ…
なぜか、
他者の話しを聞いていたら
気持ちにモヤモヤとしたものが出てきた。
とか、ありませんか。
他者との間に区切り境界線をつけよう。
他者と関わり
他者に寄り添う
すると無意識に
自分と他者との境界線がなくなり
相手のことを自分のように感じ
自分の痛みのように感情が反応すること
ありませんか
自分と他者との間に境界線を意識してみる。
私は
私が
わたしが
他者に共感すること、
わたしが
他者の味方になること、
わたしが
他者に寄り添うこと
それと、
他者の感情、他者の考え方、他者の価値観
とは別のものなので
親身になりすぎると、
そこに他者との境界線がなくなりやすくなります。
あなたはわたし
わたしはあなた
そう、まるで知っているかのように
境界線を無くすことがあります。
どんな気持ちがあり
どんな思考があり
何を感じているのだろう
そう寄り添い
他者と融解し合う
けれど、
相手のエネルギーを
気づかず受け取ってしまっているために
自分ではないエネルギーを受け取り
時に疲れやすくなったり
落ち込みがちになったり
悲観的な感情や思考になることもあります。
他者を尊重し
他者を認め
他者の心を理解しようと寄り添う。
その上で、
前に進むために
客観的な別の思考を取り入れてあげることも大切です。
同じ目線になり、共感する。
しかし、
その感情や思考の経験は
他者もので
他者にとって大切な、経験
自分ではなく
他者にとっての経験。
もちろん表面上では、当たり前だし理解の上ですが
脳には、主語がないので
他者と自分を分けるためにも
自分の意見には
主語をつけることで
相手との間に
境界線を入れてあげる必要があります
心の癒し、気づきは
経験した本人でしか
選択・決断・整理できない。
周りがアドバイスをしたとしても、
それを受け入れる、受け入れない。
それは
他者の問題
他者にしか
選択・決断できない
もしも、
他者がそのアドバイスを、受け入れたとしても
それが良い方向に進まなかった時
責任の矛先が、アドバイスした方へ向けられる時
自分の人生なのに
自分の人生の責任を取れなくなってしまう
すると
いつになっても、
他者の人生経験は
精神的な自立へとは向かえず
責任の矛先を常に、自分以外の他者に向けてしまう
自分の人生を自分で責任を負うことから回避してしまい
自分の人生なのに、自分で舵を取れなくなってしまう。
経験した本人が感じている直感こそ
魂が望む声。
他者から受けるアドバイスは
自分以外の他者の経験と、他者の価値観、他者の環境によって、
導き出されたアドバイスに過ぎないのです。
そこを、理解した上で人生の選択をしよう
参考程度にね。
その後に
私はどうしたいのだろうか?
主語をつけて考えてみよう。
わたしは、どうしたいのだろう?
わたしの気持ちは?
わたしは何を感じてるの?
わたしはどうなったら、感情の整理がつく?
わたしは何を求めているの?
わたしを知る
誰かによって
選択された思考や考え
価値観ではなく。
わたしはどうしたいの?
主語をもってコミュニケーションをとる
主語をつけて、思考の整理をする
すると
自分の人生を自分で選択し、責任をとることに繋がる
自分の人生を自分で舵をとっているのです。
わたしの人生は、わたしのもの
わたしの選択でしか、動かない
わたしが自分の人生を選択している
わたしの選んできた人生だから
今も
これからも