幸の感じ方は人それぞれに定義をもつ
どんな人生で
どんな環境、人生背景で生きるのかを決めて
この世に降りてきている
外側の出来事を通して、
人生の始めに、経験を積み
経験の中で感じ考え
気づき
少しずつ自分が決めてきた人生の設計の中で
変化しながら生きる
どんな制限の中で生きるのか?
例えば息子は
五感の聴覚を使わないで
この人生を学ぶ事を選んできた
自ら人生の背景を
限定して決めてきている。
生まれつきという事が
聞こえる事で得る感覚を知ることを手放している
その代わりに、他の機能が優れているようだ。
イメージでは
人間には五感がある
全てを平等に経験してもいい。
しかし、どれかを手放して
どれかを特別優れた感覚にしてもいい。
ゲームでどんなアイテムを自分にもたせて、どれを手放すのかを選んできたようだ。
生まれつきの選択
後天的な選択
後天的に手放す人生設計をしている人もいるだろう。
それは、「ある」を経験してから手放すことで
より、その部分の重要性を感じる
手放した世界での経験
限られたような狭まれた、世界に映るかもしれない。
しかし、その都度置かれた環境で
自分を最大限にいかして生きることを学ぶ
何が幸せ?
それは、自分自身が評価すること
何かが足りないと考えるのか?
何かが優れていると捉えるのか?
自分の幸せの価値観は、顕在的には
一般的に他者と同じ、凹凸のない普通とみえる人生が
幸せと定義する人がいるかもしれない。
普通一般、その部分で幸せを見出そうとする人
普通一般でない部分の価値観を見出す人がいるだろう。
普通一般の基準って何・・・?
人生の楽しみをどう経験しようとしているのだろう・・・
自分の本音を知ることが重要
思考は対比して
真実をしる
安定した日常を望んでいるようで
平凡では飽き足らず
本音では、刺激の毎日を望み
楽しみや変化を、無意識の中で望んでいたりする思考もあるかもしれません。
世間一般、皆んなと同じが
安心して幸せを感じられる人生なのだろうか?
世間一般とは
外側からしか見えていないのに、幸せだと評価をしている
その基準は何?
年頃、年齢的に…
そういう流れの中に、自分を見失い流されていないだろうか?
あの人は、
結婚した。
お家を買った。
子供ができた。
出世した。
外から見る評価では、世間一般で幸せそうだと想像する。
けれど、本人はそれをどうとらえているのだろう?
世間一般が幸せと定義しているならば、幸せと感じられて満たされているのだろうか
本当に望んでいる
【幸せの定義】は人それぞれ個々に違うのです。
何を基準に幸せと定義するのだろう?
真実は、自分の中にだけある。
しかし、人生経験が必要なとき
その真実は、見えにくくなっているかもしれない。
心の空虚感や隙間のようなものを感じているとき、魂では本当の望みが他にあると伝えているようです。
あなたの【幸せの定義】ってなんですか?