大浄化が続いている
しかも加速しているように、どんどん重いものが取れていくのを感じている
この記事で書いたんだけど、そのアンサーが入ってきた。
彼の未来から、私は何を奪ってしまうのだろう?
そう、思っていて悲しい気持ちになっていた
その後に、またメッセージが入ってきた。
これ、毎回思うけど
相手の方の魂なのか?
テレパシーで会話してるのかな?
今更ながらに思うけど、、、不思議
相手側の視点からの言い回しなんだよね。
で、また神様なの?って視点でくるから
精神的な卓越してる感じが凄すぎるんだけど???
魂の視点だったら、
ここまで相手の方に成長を求められている?ってことかな?
とにかく泣かせにきてるよね( o̴̶̷᷄ ·̫ o̴̶̷̥᷅ ;)
>彼の未来から、私は何を奪ってしまうのだろう?
お子さんがいても、障害があっても、一緒に乗り越えたいんだ
君は、何も奪わないよ。
僕は、君と一緒に乗り越えたいんだ
君がいるから、僕は幸せなんだ
だから、僕の未来から何も奪っていないよ
僕には、君が必要なんだ
君と一緒に幸せになりたいんだ
涙腺崩壊
そうなるよね、魂の愛の視点って凄いんだな。
一貫して入ってくるメッセージ
「一緒に乗り越えたい」
この言葉の重みを信じたい
現実的には、
すぐに答えが出たり向き合える問題ではないと思うんだけどな・・・
これは、私が精神的にまだまだ未熟だからかな
これからじっくりゆっくり、
二人が一緒にいられるような未来を選択していく
その流れになっていく
そう感じている
私は占星術をするので、自分の未来も予想できる
大きな変化が起きていくのも時期も見通している
3年〜5年後に大きく変容する
この5年がきっと大きな節目。
きっと、相手の方も転機の時期が一致していると思う。
ここまでだいぶ急速な浄化が起きてきて
さらに根本にある部分に目を向けていくために
心の奥を書いてみようと思う。
初めて言葉にして、脳内から外に出してみようと思う
私の問題でもある息子とのこと
心の中の真実を誰にも言ったことがないけれど
言葉にしないと整理できないので
初めて書いてみようと思う
息子の未来も見据えていかないといけない
だけど、怖くてずっと息子の未来を直視できていなかった
占星術でみる転機の年齢がある
大きく変化する出来事として現れるのは、
人それぞれに違うけれど誰もがおこる
土星回帰(29歳前後、58〜60歳頃)は、やはり大きな軌道修正として現れやすい
息子は25歳になり
来年から太陽期(26歳〜35歳)に変わり、自分の人生を歩んで行く時に移っていく。
でも、私は息子を手放せないと決めていた。
まさに,私のエゴによって、息子の人生を狭めている
ずっと、息子は私のエゴによって人生を拘束されていると思う
耳が全く聞こえていない
そう診断結果をひとりで聞いた。
頭の中が真っ白になって、時が止まった。
感情だけが、その場に取り残され
体は流れ作業のように、診察室から出された感覚。
この結果をひとりで抱え込むには、衝撃すぎて
あの日、遠回りをして帰ったつもりが
時間の感覚がおかしくなっていて、あっという間に家に着いていた。
その間の記憶が思い出せない
この悲しみを元夫は何も声をかけてくれなくて、
これに関して何も話し合うことはなかった。
お互いに触れない事で、自分の感情を保とうとしていたのかもしれない
感情が崩壊しないように
抑圧したから
どんどん感情は苦しくなった。
ある日ふと、息子と海に入るかな…と脳裏に浮かんだ
高速にのり、海へ
その衝動で車を飛ばした
時期は思い出せないけれど、夏ではないことは覚えている
高速をおりて、道は空いていた。
何度も来たことのある海
なのに、行き方が全く思い出せない。
迷ってしまった。
何度もUターンするが、知っている道から海に続く細い道が見つからない
どのくらい探しただろうか
結局、たどり着かない
今思えば、ご先祖様たちが守ってくれたのかもしれない
コンビニにより、頭を冷やした。
元夫から電話で理性を戻し、高速にのり帰宅した。
あの時も、夫は何も触れなかった。
どうして、海を見に行ったのか
どうして、高速に乗ってまで行ったのか
何もなかったように、感情を抑圧したまま
日常に戻った
息子の人生を私が奪おうとした。
息子の人生は、息子のもの
自分で決められないけれど
それでも、息子の人生は息子のものなんだ
そう思えるまでは
私がこの世を去る時は、息子も一緒だと思っていた。
私の視点や価値基準で決めてはいけないんだ
息子にとって
息子の命の重みを私が測ってはいけないんだ。
頭では分かっていた
けれど、ずっと現実を直視できなかった。
相談する人もいない
友達もママ友とも、自分から距離を引いた付き合いをした
だから、心の中はいつも何かを抱えていた感覚で
月1のママ友の集まりも、ちょっとした息抜きだったけど
心底楽しめていなかった。
どんどん成長の差を見せられているようで苦しかった。
私が息子を守らなければいけない
極度の依存状態にあるのも自覚している
息子がいないと、私の人生は空っぽ
そう思っていたから
依存から抜け出せなかった。
息子を3歳からひとりで育てることは
並大抵なものではなく
毎日が限界で精神もぎりぎり
崩壊していることも多かった。
だから、心の中ではいつも「助けて」と叫んでいた。
心を支えてくれる人が欲しかった。
助けて欲しかった。
ずっと願って求めていた。
同時に
私自身がもっと精神的に自分で支えられるまでの学びが必要だとも感じていた。
考え方が変われば、何かが変わるかもしれない。
そう思ったのが息子が5歳頃で、一番精神が崩れて酷かった時だった。
それから必死に生きてきた。
助けてもらいたい。家族を見て羨ましいと思った時には
「離婚を選んだのも決めたのも自分だよ」
辛い未来も離婚の時に想像できたはず、
だから、自分の決断が正しかったことにしたくて
「自分で決めたんだ」と奮い立たせてきた。
いつか、心から繋がりあえるパートナーが欲しい。
頭の隅から、ずっと消えなかった。
息子から離れた時(依存)、パートナーシップが動くというのも
自分の中の感覚として感じていた。
だけど、息子を手放すなんて無理
パートナーを求めるのと息子を天秤にかけるなんて
無理!!そう決めていた
それなら、パートナーはいらない
そう決めていた。
だけど
現実問題で、息子は私よりも大きくなり力も強くなり
ひとりでは難しい現実が増えていった。
それでもまだまだ頑張れる!
まだまだ!
息子と離れるくらいなら、もっと頑張れる!
このくらい苦しくっても辛くても、もっと頑張れる!
ってずっと自分の心に嘘をついて踏ん張ってきた。
でもやっぱり苦しくて、どんどん自分が壊れていくと思った。
これじゃ、私の人生のシナリオとはかけ離れるんだ・・
きっと私は逆を頑張りすぎていたんだ。と
やっと認めようとした。
パートナーシップの学びがあるのも、頭では分かっていたから、
理想として頭の隅にあったけれど
ずっと息子と天秤にかけていたから、
動かなかった。
心底求めなかった。
諦めていたのかもしれない。
ずっと、息子が成長するのが怖かった。
どんな風に変化するのか、
息子が離れる事が怖かった
息子がいないと生きられないと決めていたから。
依存しすぎて子離れできていない。
グループホームというワード
息子の人生にもタイミングや変化の時期は絶対にある訳で
そうなる流れの出来事が起こる訳で…
徐々に、考え方をシフトしていくきっかけが起こる訳で
息子が22歳頃から、
グループホームの話も何度も言われて、胸が苦しくなっていた
けれど、徐々にそう言う流れがきてるとも分かっていたし
理解しないといけない、受け止めないといけないとも思っていた。
でも、直視したくなかった。
向き合いたくなかった。
もうその話しないで!!と心の中で思っていた。
息子をグループホームに入れる事に
罪悪感があると感じていた
また自己防衛なんだ
息子が10歳の時に、私が腸炎で緊急入院になってしまった。
預けるところがなく、市役所に相談して
私が入院中、息子は急遽遠く離れた施設に入ることになった。
退院と同時に、息子を迎えにいってもらって帰ってきた。
その顔には傷があり、背中にはタバコの押し付けられたような跡があった。
胸が苦しくなり身が粉々にされた感覚を感じた。
息子は目を合わせてくれなかった。
私は、自分が病気になって小さな息子を施設に預けて
あんなにひどい経験をさせてしまった。
その罪悪感をずっと抱えている。
だから
人を信じない。
人に息子を預けられない。
息子を手放すことができない。
あの時代は、虐待などは普通にあった。
と息子の相談支援員さんに聞いた。
あれから、恐る恐る
障害の仕事に関わる人たちに接してきて、思っているよりも
心からサポートしたいという気持ちで関わっている人たちが、こんなにいるんだと経験した。
それから、少しずつ人に預けることができていると思う。
先輩ママは、
「グループホームに早く入れて(25歳)、息子の為には良かった。離れた時は、苦しくて息子も辛くて・・・でも、今は良かったと思ってるよ。」って、何度も教えてくれて、誘ってくれた。
同じ気持ち側の意見なんだ、
どっちも辛いけれど、結果良かったと、
でも私の心はブレなかった。
そのお母さんは、昨年亡くなってしまった。
施設に入れる、グループホームに入れる
その変化を目の前で何人もの先輩ママを見て来た。
突然、順番が回ってきて施設に入ってしまった人もいる。
親も感情が追いつかない。
だけど、きっとそれは息子達のためでもあり
お母さん達にとっても、
「もう自分の人生を生きていいよ。お疲れ様」
そういうメッセージかもしれない
ずっと依存し続ける親子関係は、断ち切る時がくる
いつかは、人に委ねて生きていく必要があるのも理解している
そう、たくさんの先輩ママ達を見て来たから
でも、ギリギリ私が頑張れるまで、手元に置いておきたかった。
だけど、現実的にもう体力的に息子の抑制が出来なくなってきている。
手を繋いでも、引っ張られて自分が浮いてるのを実感してる
どこに行くにも、ひとりで留守番出来ないので、連れて行ったけど、それにも限界を感じていた。
父にだけは、それを話していた。
「そうだろう。仕方ない」っていわれた。
自分は息子を手放してまで幸せになってはいけない
もう子離れのタイミングが近いのも感じる
それでも出来ないのは、
私が、息子を手放したら罪悪感に苛まれるからだ。
私は、息子を手放してまで
「自分が幸せになってはいけない」と思っている。
これが抜けない
息子を、グループホームに入れて、
人に預けてまで、私は自分の幸せを選んではいけない。
そう思っていた。
だけど、
息子の為にはならない
そう、理解している思考もある。
息子がかわいそうなんじゃなくて、子離れ出来ないじゃなくて
自分が幸せになることを、私が許せないのだ。
息子のこと障害のことを理由づけにしていたんだ。
それを認める時期にも来てる。
だから、今なんだ
息子が自立するために、自分の人生を歩み出すタイミングなんだろ。
ゆっくり3〜5年かけて、子離れしていく準備期間を提示されている気がする。
私が幸せを選ぶことは、最終的には自分を許すこと。
パートナーシップが動き出したことで、もう息子の未来も動いていると思う。
しばらく利用していないけれど、去年辺りからこのメッセージも感じていて
そろそろ、そろそろとズルズルと先延ばしにしてきた。
もしも、出会いが実際に起きた時をきっかけに
数ヶ月に1回ずつでも
ショートステイの利用をしていく気がする。
そういうタイミングがないと、多分私は動けない。
自分を犠牲にしちゃうことに慣れてしまったから
息子を預けてまでパートナーとの時間を優先にするの?
そういう心の声との葛藤をしながら
息子と離れる時間を少しずつ作っていく流れが来ると思う。
きっと、ここまで頑張ってきたから
それだけ魅力的な相手の方だと思うから、
罪悪感と葛藤しながらも
きっかけが、こういうパターンで私には提示されるのかもしれない。
って思ってる。
神様も全てお見通しで、私にこのプランを投げかけてきているんだと思う。
だから、目の前に起きたことは
逆らわずに、前に進む選択と決断をしたいって今は思っている。
その覚悟が出来つつある。
ずっと一貫して入ってくる相手の方の魂?のメッセージを信じたいから。
一緒に乗り越えたい。
この言葉を信じて、自分の幸せを赦したい。
私も幸せになっていい、許可を出したい。
我慢し続けるだけの人生でなく、欲をもちたい。
今まで人生の多くを我慢してきたから
もっと色々な景色を見てみたい。
息子のせいにして、障害のせいにして
自分の人生から目を背けて、自分の人生を生きようとする覚悟がなかったんだ。
息子の人生は、私の人生の経験の過程なんだ。
その学びが次の人生のフェーズにつながり、自分の人生の完結へと向かうんだ。
次なる目標
来年占星術の最後のコースを受講予定。
きちんとした基盤を持つためにもマスターコースを修了したいんだ。
2022年からスタートしてあと1年
そのスキルを完成させて、もっと相談者の方を理解して寄り添ったセッションをしていきたい。
まだまだ学びたい。
このタイミングで大きく心が浄化されているのを感じる。
あとは、毎日を丁寧にそして悔いなく今を生きていく
その延長線上に、きっとご縁がつながると信じている。
この人生に悔いを残したくない。
1日を大切に、与えられている命を全うしたい。
感謝*✩‧₊˚
自分と向き合って、感情が戻って涙を流した2ヶ月
ここで最終章だったらいいな・・・
まだ続く・・・
ソウルメイト引き寄せ中11〜破壊的自己防衛と二人の未来を守る