星のバロメーター☆心理と感性をプラスして読む♪西洋占星術

心の声・心の音が和む「心理学・占星学・魂からのメッセージ」自動手記コラム

価値観を変えて新しい時代へ?違う価値観って?

価値観は人それぞれ

二極化の進む中で

 

何を基準に
どんな価値観

どんな捉え方、解釈で選んで生きるのか?

そこを意識して生きる

 

星からのメッセージでも価値観の変化は促されています。

 

 

もしかしたら

価値観を変えるというと違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。

何がどう?どんなことを?何がいけない?

・・・と気づかず考えつかないこともあるかもしれない

 

 

新しい時代へとシフトしていく時

価値観を変える??

というよりも

どんな世界で
どんな価値観の人達と生きる?

 

 

ここを中心にして選んでみると

自分の持つ価値観というのが見つけやすいかもしれません

 

 

価値観や考えかたは
違いが進んでいく、開いていくイメージ
すり合わせるのが難しくなる

 

 

それは

個性を主張して、

自我を隠さずに、

ありのままに表現しても生きやすい環境や場所が増える

からで

ありのまま、あるがままを

認めあえ受け入れあう

共感の場所や環境に出会いやすく

繋がりやすくなっていくから

 
 
自分の居心地のよい

生きやすい環境・人を選んで繋がり

そこに同じ目的の人たちと繋がり助け合い

サポートをしたり受けたりしやすく、

ひとりで抱えずに生きやすさが増えてくる

 
 
だから、どんな環境やどんな人と生きる?
ここが重要になっている

 

どんな?というのが

自分にある価値観がベースになって選ぶので

重要です。

 

 

 

価値観の違いは開いていく

言い換えると

認められやすい場が増える

 

違いが主張できる=自己主張できて、自分らしい

ありのままでいられる人との縁が繋がりやすい

 

そんな時代に入ってきている

個々に違いがあることが

認められ受け入れられていくので

違いが目立っていく

違いが当たり前になっていく認識

 

 

今までも「違い」は、当たり前という理解だけど

実際に集団の中で「違い」は認められず

除外されたり否定されてきた。

この矛盾に気づいていく。

 

 

認め合えるコミュニティーが増えていく

同じ仲間のつながりが広がっていくので

ひとりで頑張らなくていい

共に助け合い生きる社会が作られていく

同じ価値観や目的の人とのつながり。

 

 

個人で生きてきて

個人の役割があり
その中で、確立してきた生き方を
持ったまま

横のつながりの集団で生きる

 

 

集団は今までは、縦社会

社会的なルールや規範的な厳しいなかで、

心を出さずに抑制した感情で

社会に合わせて生きることだったけれど

 
 
その社会的な仕組みがどんどん変化していき
個人的な意思をもって、

集団という社会や環境、居場所を選び、

自己主張が受け入れられる仲間の中で、新しい社会をつくり生きていく

 

 
 
これから、集団的な非営利団体とか増えていくんじゃないかな。
それぞれが個が確立しやすい団体=環境を社会的に位置づけするために立ち上げて

社会の中で認知されて、違いを表現し生きやすいものにしていくために

自分の居場所の確立をしていく。
 
 

 

今、現在
何かを感じて違和感や考えかたの違いがあるとしても
それは、個人的な意見に過ぎないから

 

 

それを認められる環境や繋がる人を変えたり選んでいく

違う人にわざわざ違いを主張する必要も

違う人を否定したりする必要もない環境を選んでいく

 

 

生きる場所や環境が違うだけ

生きる目的や意思が違うだけ

 

 
例えば
こんなイメージが出てきたんだけど

校歌w

校歌って人それぞれ思い浮かべるものが違うと思うけれど

「あなたにとっての校歌ってどんなですか?」

と質問されたとして

自分の中にある校歌って

〇〇学校の校歌を思い浮かべて、それは個人にとっての校歌から連想すると思うんだけど

 

それは、個々で違う校歌を想像する訳で

でも、校歌はその人にとっての校歌であって

違う学校にいって、自分の校歌はこれじゃないって

違う学校で、わざわざ主張するようなもの

【この校歌は違う、校歌ってこの曲が校歌だ】と訴える感じ

 
 
当たり前だけど
それに似たことをしているのと同じ。
 
 

違うものは、違うの

それをわざわざ正そうとしなくてもいい

 

 
違う学校で、

校歌違いますよー校歌とは…って主張しないじゃない?

 

そこにある学校の校歌を校歌として無意識に受け入れてる訳で

何の違和感もなく私たちは

学校によって校歌は違うって理解していますよね。

誰に教えられたかさえわからないけれど

 

 

それと同じように

違いは違いとして認めあう

それを意識していく

 

 
意識するのって大切だから
意識は、認識するでもある。

 

常に気にかける。という意識ではないからね。(そんなの無理でしょ)

気づける人であること

 

認識するために、捉え直すことも意識

後でも、捉え直すことができると

客観的に俯瞰して

バランスの取れた思考になるから

思考を整理していくことになる
 
 
違っていいし
違うのが当たり前

違いがないのが不自然

 

 

違うから、感じる、違い
違うから、気づく、考える、学ぶ
 
 

だから、なくならないのが

違いだし

個性でもある

 

 

自分が受け入れられたかったら

まずは他者の「違う」を受け入れてみよう

 

 

そして、

違いをとことん受け入れてみよう

 

 

受け入れるとは、

そういう考えもあるのね。

 

でいいの。

それ以上は必要ないのよ。

 

 

自己価値観は、

自分の生きる価値基準

だから

自分にしか合わない。

 

その上で

他者との違いを

否定ではなく、肯定してみることから

変化していく。

 

 

 

ジャッジは無くならないから

ジャッジした先の思考の捉え方が重要

 

 
 

ジャッジは自分のため

ジャッジは、自己価値観のもとにされること

 

 

生きる基準として無意識にあるから
その基準を無意識に発動させて
物事を捉えているから

 

だから、ジャッジは無くならないから
自分のために必要なもの
 
 
自分の為に必要

 

 
だから

自己価値観で

他者を測ることを、無意識にしていることに

気づける人でありたいし
気づけるとき
人を自己価値観で評価しようとしたり
違いを批判、指摘することも減っていく
 

 

気づきがおきれば
意識して無くしていける
 
 

違うからこそ

引き立てあう虹のように

違うから支えあう社会が成り立つ

 

 

新しい時代に

新しい思考の捉え方に加えてみよう。