星のバロメーター☆心理と感性をプラスして読む♪西洋占星術

心の声・心の音が和む「心理学・占星学・魂からのメッセージ」自動手記コラム

【精神的な強さ】とは?プロセスを知る

私の経験から思考整理の仕方を少し書いてみます。

 

私は、「強いね」って結構言われてきた方だと思います。

そう人の目には映るようです。

 

 

「強いね」って言われると同時に

私の中の自動思考は、心の中でこう言います。

「別に、好きで強くなった訳じゃない」

 

 

声に出しては言わないけれど、、、

心の中で、グッと堪える

そんなふうに、その場を凌いできました。

 

 

じゃあ、

私の思考はどんなふうに考えるのか?というと

 

「かわいそうって思われたくない」

「負けたくない」

 

 

負けたくない

この感覚は、他者に対するものではなく

 

その状況に負けることが嫌。という感覚

この状況を放置したり諦めたくない、

乗り越えたいというよりも

乗り越えられる。って思っている変な根拠を持っているw

 

 

例えで言えば、

乗り越えられない試練を神様は与えない

ってありますよね。そんな感じだと思います。

 

 

悪いという状況が起きたとしても

なんで「私ばかり・・・」という思考にはならなくて

 

その時の自動思考で言えば、

「まじか・・・どうするか・・・」

って思う。

 

 

・私ばかり・・・だと自分に否定的に向ける言葉

・まじか・・どうするか・・・だと常に次なる行動を探す思考

 

 

そんなふうに思考が働いていて

例えば、

息子の出産の時も出来事で言えば不運続きになる。

 

 

計画出産で、入院中に高熱発症

出産翌日、出血が固まり腫れて、縫った糸が取れてしまい緊急手術&入院延長、抗生剤投与(母子)

息子の発育の遅れ、聴覚が全く聞こえていないことが発覚

検査、聴覚障害の告知、歩行できるかはわからない、耳の手術など

次々と心が追いついていかない状況が続く

 

 

精神的に、やり場のない状況ではありましたが

私ばかり。。。はなかった。

 

ただ、どうしていいかはわからなくて、ひたすら調べたり電話をかけ相談したりしていました。

これも、次なる行動に移している事実

 

 

それと、産まなければよかったと、思ったことが一度もなくて

私自身も、生まれてこなければ良かった。と思ったことは一度もなくて

 

 

それを、聾学校に通うようになってから、

ママ友が「あの時産まなければ良かった」という言葉を聞いたり、

もう学校のママ友に、子供を部屋に1人で隔離している。ということを聞いた時、

なんとも言えない悲しみを感じて、

そういう考え方にもなってしまうんだ、と知ったんですが

 

 

常に、思考を先の未来に飛ばすというのは

もしかしたら、射手座の水星のおかげかもしれません。

 

太陽星座が射手座であっても、

水星が射手座とは限らず蠍座山羊座にある場合もあるので

個人のホロスコープを出してみると、わかると思います。

 

 

この資質があってこそ、きっと乗り越えるために

考えるというプロセスに繋がりやすいと思うのですが、

だからと言って、強い訳じゃない。

 

 

月星座は蟹座にあるので、とっても心配性で繊細で感情的です。

その自分の中にある違った要素を、統合させていくことが

人生においてもバランスの取れた生き方となっていくので

 

 

思考の使い方や価値観は、人の数だけあるので

自分にない要素を取り入れていくことは

 

 

人によっては、

違和感を感じて否定的にもなりやすいですが

「知る」ことで

そのヒントを自分に置き換えて使えることもあります。

 

 

そういう思いや、ここ最近の星の配置からも

他者からの刺激から価値観の変化につながる要素があったので

私の中の思考や考え方のプロセスなど、

ご参考になるかなと思って書いてます。

 

 

精神的に

強いから

凄いんじゃない

 

 

精神的に

強く生きらなければいけない経験をしている

 

 

ということは、

その人の見えない人生背景であり 

その人生背景を持って

人生が続く

 

 

だから

一部を切り取って

強いから、凄い、偉いとも違う。

 

 

強く生きなければ、いられない経験をしていて

その事実を乗り越えてきたから

精神的な努力の積み重ねが、強さに見えるだけ

 

 

生まれ持って

強い人などいない。

 

 

生まれた時には

みんな同じスタート地点

 

 

 

そこから、育つ環境

養育者,両親、家族、きょうだい

自分を取り巻く,環境要因によって

価値観や精神、感情が育成されていく。

 

 

だから

心の状態、思考の捉え方、価値観は

養育環境と養育者によって

今につながる「傾向」として現れている。

 

 

そこに

大切な気づきのヒントがあるよ。

 

自分自身が全ての指令(決断)を出している

「もっと頑張ろう」、と

踏ん張り続けるように脳内に指令をだす

 

 

「もう頑張れない」、と

そこで止めることを脳内に指令をだす

 

 

「悔しいから、もっと違う頑張り方をしよう」、と

脳内に指令をだし、次なる行動につながることを思考する

 

 

「苦しいから、もうダメなんだ、、自分なんて、、、」そう

自分を責めるような思考を作り出し続ける

 

 

「この状態から、抜け出したい」、

そう脳内で指令を出すから、次なる行動を考える

 

 

全て、自分が決めて指令を出している

 

 

 

ただ、指令を出しても

そこで思考の整理を止めることで、思考にバランスを崩す事が多い

 

 

 

バランスをとった思考が、最終決断になっていないとき、

まだバランスが崩れているので

答え探しのように、似たような出来事が起こる

 

 

答え探しは、

バランスの取れた視点で決断していることでなくなる。

 

 

 

起きた出来事を、

・ネガティブな思考で止めないこと。

・否定的な思考で止めないこと。

・思考整理を途中でやめないこと

 

これは図でいうとにあたります。

③でやめることで、④が結論になるのが、自然な思考の流れではあります

しかし、そのままでは

バランスが崩れた白黒思考の判断になってしまいます。

 

白黒になってしまうことで、何が想定されるかというと

良し悪しというのが、いろいろな事柄に置き換えられます。

 

例えば、

被害者意識、自己否定、悲劇のヒロイン

喪失感や孤独感、絶望感、ほか

 

もちろん、ここの部分が気づきのヒントにつながるので

あってもいいし、感じてもいいし、必要で大切なプロセスでもあります。

 

この③を認識することで、自己理解が深まるのでね。

 

ただ、このままで止めてしまうと

心への負担が大きくなるので、次なる

③’ダッシュを加えます。

③’ 違った視点、客観的な視点から見る

俯瞰した見方で、大きな視点を捉えて考えてみる。

こうかもしれないし

こうなのかもしれない

もしかしたら、こんな心の動きによって、こうなってしまったのかも。

 

 

他者がいる場合は

相手の人生背景にまで視点を広げて、考えてみる。

 

 

この③’が抜けていることが多いので、

バランスを崩したまま

出来事を捉えてしまう時

 

起きた出来事を良し悪しで捉えてしまいます。

 

客観視

③’では、自分の視点だけではない主観を外した客観を使って

思考を整理していきます。

 

この客観的視点を取り入れることで

自分の主観から見えたことからの意味づけや理由づけから

もっと深い部分での理解が深まります。

 

すると

自分が悲劇のヒロインのように、自分だけが被害者で

自分だけが可哀想な人に思えたり

自分だけが小さな存在に感じたりするという点からも

大きく視野を広げていけるので

 

自分だけではなく、自分自身の思考が

自分自身を守るための自己防衛や

他者へ向けて虚勢を貼る必要もなくなります。

 

頭の中だけで考える時③で止まってしまうのは

自己防衛機能が働いていること。

 

なので、そこも大切です。

 

 

しかし、

バランスの取れた視点を取り入れて

物事を整理することも

自分自身を守ることになります。

 

 

バランスの取れた思考整理をすること

 

 

精神的な強さは、

生まれ持った強さや性格ではなく

辛い経験をしたからこそ、

自分の人生の糧に変えられた人が、

強さとなって

他者には映るのだろう。

 

 

 

誰でも

辛い経験というのは体験しているだろう

 

 

その辛い経験を、

どのように捉えて

どのように思考整理している

 

 

それをバランスの取れた視点で、整理できている人が

強さとして現れている

 

 

 

だから

強さに変化するタネ(出来事)は、誰もが持っている

その経験を、バランスの取れた視点で整理して

気づきを得る。

 

 

そして、

その経験を糧に変えられた時

精神的な強さとして、自分の辛い経験が浄化される。

 

 

もしも

 

強いね。って言ったことがあるならば

強くなりたいという心のメッセージであると共に

 

強いね!

という言葉には、「自分には無理」という内心が含まれている場合がある。

 

そうなりたいけれど、そうなれない。

だから羨ましいと感じる。

 

 

強いから、日々を上手く生きられているのではないよ

 

強くならなければ生きられなかった、

経験をしていて

 

自分の思考をバランスの取れた視点に立って、出来事を整理し

心理的な面においても、自己コントロールをしている

という事実でしかない。

 

 

強い人が上手く生きられる。

そう思考するならば、そうかもしれない。

 

思考のバランスを取るために、内観し自分に目を向け

自分に寄り添っているからこそ

強く見える

 

けれどそれは、

人生の一部を切り取った見方でしかない。

 

 

真実は、

自分を諦めずに自分と向き合い

生きようとしている現れかもしれないね。

 

 

強くなれば、上手く生きられるのではない

バランスの取れた視点に、最終的に落とし込んでいることが

強さに見えるのだから。

 

 

逆のプロセス

 

 

弱いから、

思考の整理ができていないとかではなく

まだ、思考整理が途中の段階なのです。

 

 

バランスを取るための、経験を積む時期かもしれない。

両極を経験してこそ

気づくのかもしれない。

 

 

自分を守る視点だけだと

自己防衛が強くなりすぎてしまい

他者からの違った視点を受け入れるのが難しい場合もある。

 

 

自分の外側に原因を見つけている思考を

内面の自分に向けてみる。

 

 

出来事の中に答えを見つけようとせずに

その時に、

どんな感情や心の動きがあったのか?

そこに視点を向けることが

内面に意識を向けること

 

 

外側の出来事は、きっかけ

そのきっかけの出来事に

ご自分の「心と感情が反応している」という事実を

認めてあげることが

 

次なるステップへの道標となる

 

 

心と感情の反応がどんなことなのか

そこに気づく時

気づきへのヒントが繋がりやすく

 

 

気づきが起きた時に

腑に落ちる

という感覚があり

出来事が与えられた意味へとつながる

 

 

この感情に気づくために

この出来事が起きたんだ

この感情に気づくために

出来事を通して、思考にある考え方が反応して

身体反応や感情が連動した。

 

 

そう一連の流れを受け入れられた時

出来事や外側の他者へ向けていたことが

きっかけにすぎなかった

そう理解できた時

 

 

起きた出来事によって

反応している考え方や思想、感情も

浄化されていく

 

 

すとん!と腑に落ちる感覚が

気づきである。

 

あ、そういうことか、、、

私の中にはその感情があって

その感情が理解を求めて、反応をしているんだ

 

そういう感覚で気づきのプロセスは起きてきます。

 

 

腑に落ちて、浄化され

出来事は単なるきっかけ

そう視点を内面に向けることが

思考の捉え方のプロセスとして

癖づいていくことで、

 

 

出来事からの気づきと乗り越える力を

自分自身で調整できるようになる。

 

 

それが、

自己コントロールを自分自身ができる

自分を自分で癒すことができる

自分の味方は、自分

 

これが腑に落ちるようにもなります。

 

 

そして、このプロセスを意識できて

乗り越えていくことで

周りには「強さ」として映るようになる

 

 

強さというのは、

幻想でしかない

 

自分の中にある知恵を使って

自分を自己調整できていくことで

強さとして、他者の目には映るのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

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