星のバロメーター☆心理と感性をプラスして読む♪西洋占星術

心の声・心の音が和む「心理学・占星学・魂からのメッセージ」自動手記コラム

主観と客観〜思考のバランス

考え方、価値観は人の数だけある。

 
 
人は自分の考えが正しいと主張するとき
それは、自分にとって
今まで最善の答えを導き出し
その価値観の考え方で、人生を歩んできたから
 
自分の信じた道が正しい
という意味も含めて
 
 
自分の考え方は正しい!
間違っていない。
そう主張したい気持ちが、強く出ることもあります。
 
 
 
自己否定感が強かったり

自分自身を信じきれていなかったり

自分を認められていない思考があり
自己否定するとき
それは
より満たされていないことによる傷を感じて、
自己主張も、より強く働いてしまいがいです。
 
 
 

認知には二つ以上の捉え方があるとは?

自分と他者の考えがあり
また、人の数だけ魂は違うように
全く同じ考えや同じ思考の人がいる事の方が奇跡なのです。
 
 
自分の価値観は
自分の人生を歩んできた指針となり、
自分自身にだけ通用する
 

 

それは、大切な価値観です。
 
 
しかし、重ねて言うと

自分の人生にだけ通用してきた価値観なのです。

 

 
自分の価値観という基準を
他者を当てはめようとすると
それは、
他者との間には調和点を見つける作業が必要になります。
 
 
自分の価値観は自分にだけ通用する
自分にだけなので、他者には通用しない

 

 

 
無意識では、自分の価値観に
他者を当てはめて考えようとする視点で
思考は働いているのです。
 
 
 
 
そして、自分の価値観に
他者を当てはめようとするから
苦しくなり
思い通りにならないと
思考や感情は
違和感や心の痛みを、感じてしまうのです。
 
 
 
理解しているようで、腑に落ちないのは
他者とは違うと思いながら
同じだったら
どんなにラクだろうと思考するからです。
 
 
他者を理解し認めよう
他者の意見や価値観を、尊重し合おうとすることは
受け入れ合うことが先に必要になる。
 
違う価値観は、否定ではなく
お互いにとって、
違う価値観からつながる
未来へのヒントにできる。
 
お互いを認める存在として、共に協力をしあえるのです。
 
 
あなたも、私もOK
ワンネスの世界です。
 
 
どんなあなたも、どんなわたしも認め許しあえるのです。
 
 
でも、それがまだ難しいときは
シーソーをイメージして
相手のみている世界を想像してみよう。
 

多くの人は、自分の価値観から

相手の気持ちや情報を想像して、

わかった、知ってる、理解していると、誤解する時がある。

 

 
自分の価値観から得た、

他者の状況を想像しているだけなのです。

 
 

その人の立場に

自分を置き換えて

考えている理解ではない事が多い。

 
 
自分側から他者をみて、

自分の経験してきた、似ている状況を重ね合わせて、想像しているのです。

 
 

他者の置かれている環境、状況、見えない過去や時代背景、

心の中にある傷や思いを含めて想像出来ていないとき

 
 

それは、本当に、相手を理解している、その状況がわかる。とは言えないのです。

自分の価値観という眼鏡をかけて、みている想像の範囲なのです。

 
 
 
寄り添い理解をするために
男の子の側に座って感じてみる。
 
 

何を考え、何を感じているだろう。

そこから見える景色や

人生の背景にはどんなものがあるだろう。

 

その全てを含め、

男の子が発言する言葉になっています。

 

 

次は女の子の側に座って感じてみよう。

何を考え、何を感じているだろう。

そこから見える景色や人生の背景にはどんなものがあるだろう。

 

その全てを含め、

女の子が発言する言葉になっています。

 

 

どちらにも人生の見えない景色、

置かれている環境、価値観が違う。見え方も違う。

その上で、私たちは向かい合いコミュニケーションをとる。

 

時に、向かう合うことから

寄り添う側に立って考えてみる。

 

 

バランス

中立な立場に自分の思考を置き換えられる時、

それは自分にとっての

優しい思考の選択になります。

 

 

お互いの立場になったものの見え方、捉え方。

上下ではない中立

いい、悪いという優劣でもない

ただ、ある。

 

 

喧嘩両成敗という言葉がありますが、

どちらの意見も聞くことが大切ですよね。

そこに価値観の違いがある。

それをお互いに理解した上で、上下を決めるのではなく

自分自身の心のあり方、人としての接し方をしてみよう。

 

 

人として、他者に向けた言葉や行動は

自分が不快を感じることを

他者にしていないだろうか?

 
 

もしも、

それをしてしまったと気づけたときは

謝罪をしたらいい。

経験して学ぶのが人間だから
その失敗が学びなのだから。
 
 

もしも、相手に不快感を投げかけられたとき、

人として受けた傷に関して、他者に気づきがあるならば

それは、他者のために自らが辛い経験を選び、

人の気持ちに気づけたのだ。

と学べる。

 

 
 

どちら側を経験するのかは、わかりませんが、

お互いの立場を経験して

初めて人は他者の気持ちに気づけることもたくさんある。

 

 

 

自分だけでは

自分にしか興味が向かずに

自己中心的な身勝手な行動・言動になってしまう。

 

そう歪みが出ないように、どちらの経験も貴重なのだ。

気づける人であろう。

 

 

出来事はいつも必然なのです。

 

 

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